pop_babu_sound’s diary

大野さんへの愛をつらつらと。

大野智を想う日々

「心や身体は自由で豊か?」「最近食べた物で美味しかったものは?」「今気になっている音楽やダンスはある?」「最近YouTubeで何を見た?」

一生面と向かって会話をすることはない。でも、毎日大野さんのことを想っている。今彼は何をしていて何を感じているのか。果たして一日にどのくらい大野さんのことを想っているのだろう。生活の何%が大野さんで満たされているのだろう。

良く晴れた爽やかな空を見ると、大野さんを想う。
舞台に立っている人を見ると、大野さんを想う。
ふわふわとした柔らかいもの見ると、大野さんを想う。
魚や釣り道具、キャンプ風景やランタンをTVで見ると、大野さんを想う。
オレンジ色に染まった夕日や静かな深夜の空を見ると、大野さんを想う。

大野さんが活動している時も当たり前のように想い続けていたけど、お休みしている時の方が想う気持ちが膨らんでいるし、日々想う気持ちが積み重なっている。…元気にしてるかな。幸せかな。自分のために生きているかな。

混沌とした世の中に一筋の光をさしてくれるのが大野さんで、明日もきっと楽しいだろうなと予感させてくれるのが大野さんだった。埋もれがちで見失いがちだけど本当は星の数ほど散りばめられている小さな幸せを照らして見つけさせてくれるのが大野さんだった。

乾いた喉を潤すように大野さんの歌声を聴く。刺激が欲しい時に大野さんのダンスを見る。疲れ切った脳のために糖分を取る感覚で大野さんの笑い声を聴く。

こうやって私の毎日には必ず大野さんがいて私の心を支え、癒やし続けてくれていた。パフォーマンスや言葉で心を満たしてくれていた。それは、今でも変わらないことだ。私の毎日は可笑しいくらいに大野さんで染まり切っている。きっと皆、私みたいに今でも頭や心の中に大切に大事にしている大野さんの姿や、言葉や、気持ちや、愛が沢山あって日々大野さんに魅了されているのだろう。

大野さんは様々な角度から沢山の表現や表情で魅せてくれる。角度によって様々な色彩や形が新しい景色に変わっていく万華鏡を覗き込むと心が踊るのと同じような感覚。万華鏡のような彼に日々癒され、日々励まされ、日々驚き、日々刺激を受けるような毎日を送ってきた。

疲れた時の大野さんの笑顔はいつもの何倍も甘くて、辛くて前を向けない時の大野さんの言葉はいつもの何倍も心強くて、落ち込んだ夜中に聴く大野さんの歌声はいつもの何倍も綺麗だった。

足取りの重い朝、あと少しのやる気が出ない昼、どうしようもない不安に苛まれる夜。そんな時に見る大野さんはいつもの何倍も眩しすぎるほど輝いていて、私に小さなやる気や希望をくれた。落ち込む思考をゆっくりと引き上げてくれた。

「今日も元気かな?」「自由に過ごせているのかな?」「新しくやりたいことは見つかったのかな?」 「今どんなことを感じているのかな?」日々大野さんを想う気持ちが強くなっている。今はどんなビジュアルかな腹筋は何個かな、なんてことも想像する日々。そんな日々も愛おしくて大好き。

ただ、想いが強すぎて淋しくてたまらなくなる時がある。どうしようもない不安に駆られ涙が溢れてくることや、分かっていても大野さんが芸能界にいない事実に胸が締め付けられることもある。昨日は前向きな気持ちだったのに今日は心が急に淋しくなって声を出して泣くこともある。くしゃっと笑った顔や歌ったり踊ったりしている姿、ファンの子に向ける眩しすぎるほどの笑顔、キャンパスに向かっている時の真剣な目を想い出しては逢いたくて逢いたくてたまらなくなる。

けどもうそれは仕方がないことだなと思う。どうすることもできないから。現象として受け止めるしかない。大野さんを想った結果としてこの感情になったのならばもはやそれさえも愛おしいじゃないか。それだけ彼に夢中で、今も夢中な証拠。大晦日まで何事もなく嵐としての大野智を無事に走り切ってくれたことにホッとしている自分もいるから。今、彼が笑顔で穏やかな日々を自分のために過ごせているとするならばそれだけで充分じゃないか。

…でも、貴方を想っている内にどんどん想像が膨らんでしまうのも事実。私の大好きな言葉の一つ、「休止中も僕のことを想っていてください」。この言葉に意味を持たせすぎるのも良くないとは思うけれど、大野さんの全てが詰まっている気がして。嘘をつかない彼だからこそ信じられる未来。実際、未来なんて分からないけど。でも、ありえない未来じゃないと思えるのが大野さんの凄いところ。大好きなところ。尊敬しているところ。「自分の幸せとやりたいこと」の交わった先が、再び舞台に立つことだったら嬉しいな。

いつの日か訪れるかもしれない「また」を焦ることなくゆっくり気長に待っていたい。大野さんが踏み出そうと思った時に、安心して帰ってこられるような場所を大切に温めながら。その時は今の自分よりももっと成長できているといいな、なんて。

大野さんが新しい一歩を踏み出すまでこれからの記憶が更新されることはないけれど、今は大野さんが残してくれた過去を大切に大事に抱きしめていたい。宝箱に閉じ込めたい気持ちならば宝箱に閉じ込めて、取り出したくなったらまた取り出し、抱きしめたり、磨いたり、眺めたりすればいい。

大野さんがいない事実をこれからも目にすることが多くなると思うけれど、淋しいなら淋しいでいい。悲しいなら悲しいでいい。泣きたい時は泣いて、叫びたくなったら叫んで。そして、また少しずつ前を向こうとすればいい。こんなの綺麗事かもしれないけれど、周りの人に感情を合わせて自分の心がどんどん辛くなるより断然いい。簡単なようで凄く難しいけど自分に嘘を付かず、想いを変質させることなくありのままの想いを受け入れたい。気張ることはない。他の人と比べる必要もない。応援の形を変える必要もない。ただ自分の心が喜ぶ方へ、楽しい方へ、滾る方へ。前向きなプラスの感情、後ろ向きなマイナスな感情。受け取り方は人それぞれ。どんな感情を抱いたとしてもきっとどれも間違いじゃない。私も貴方も。

ずっと想っていたいと思わせてくれる人を好きになったのだから。これからもたまに苦悩しながら、大野さんで溢れすぎている愛おしくて楽しい日々を謳歌していく。新しい未来が始まることを夢に見ながら。大野さんを想える日常があることに感謝をしながら。

大野さんを想える日々が最高に倖せだ。

明日はどんな景色が広がっているのだろう。